Moment

Size : 83.5″x60.1″(212×152.8)cm
Material :aluminium on oil
2017

今から約 1000 年前、人は世の流れをこう記した。
「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。 『平家物語』12世紀頃・冒頭」

この世に存在しているものはすべて常に変わり行き、 永遠のものはなく、聴こえてくる鐘の音の響きはこの摂理を伝え、栄えた者もいずれは滅びて消え去り、それは風の前の塵のように儚いものである。昔も今もわたし達は限られた時間を精一杯生きているが、天文学的な時の流れからするとそれは一瞬の事である。 時間は誰にでもに与えられている価値であるが、それ自体を見ることはできない。
変化するすべてが互いに呼応し移ろいゆく、
すなわち一瞬ごとに違うという事、
それが存在している証である。

この長く語り継がれてきた万物の摂理に対し、それを捉える方法論として、フレームレートからアプローチしてみる。
フレームレートは映像が何枚の画像で構成されているかを表す単位のことであり、 平均的なフレームレート24fpsは、1秒当たり24フレームということだ。
映像からこの1フレームの場面を抜き出してみると、 1/24秒という人の目では認識できない短い時間にしか映し出されないにも関わらず、 それと同じものはひとつもないことがわかる。 これにより映像はひとフレームずつすべて異なることで成立していることは明らかだ。
例えば人生をこの映像という考えにあてはめてみると、同じ絵は二度とないということになる。 わたしたちはただ今という瞬間にのみ存在し、そこには過去も未来もない。
フレームレートへの着眼点で解釈すると、わずかな単位に至っても、モニタースクリーン内ではとどまる事無く物事が変化していることがわかる。 この絶え間ない変化が示すもの、つまりはそこに存在性を認めることができるといえる。

ここでは連続した映像フレームから 1 フレームを抜粋し、最小単位のピクセルまで落とした。
フレームのシーンは、持っていたあらゆる情報の意味から開放され、データの塵となる。
ここに投影させたのは、データのもつ一生の一瞬の一幕である。

それはそこに存在していたことの痕跡であり
風の前の塵のように儚いものである。

鈴鹿哲生 ARTWORK [ Moment ]
鈴鹿哲生 ARTWORK [ Moment ]

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